危うく死にかけた話

 
 

 2022年3月某日午前3時過ぎ胸の痛みで目が覚めた。背中が痛くなるのはここ何週間か時々有った。筋肉痛だと気にしていなかったが、さすがに胸の痛みは応えた。寝ると痛みは増すので布団にうずくまったまま夜が明けるのを待った。余程救急車を呼ぼうかと思ったのだが、日頃、痛みには慣れているので、大袈裟な事はせず近所の内科クリニックの開くのを待って訪れた。

 問診票に症状を詳しく書き受付を済ませ、待っていると程なく呼ばれ即、心電図と採血、点滴、待合室の妻が呼び込まれ、院長とC西病院副院長との電話でのやりとりの間に救急車が呼ばれ、そのまま病院に転送された。

 心筋梗塞だった。完全に閉塞していれば心臓はどんどんダメージが拡がり、治療は一刻を争う。自覚してからすでに六時間以上経過している。発症はいつからだったのか?クリニック院長の素早く的確な手際で、病院ではすでにスタッフが待機しており、すぐカテーテル処理室に運びこまれ手術が行われた。

 右冠動脈が1本完全に閉塞状態、左側の血管2本(左前下行枝と左回旋枝)にも梗塞があったが辛うじて血流は確保されていた。この2本に関してはだいぶ時間が経過しており、補完する血管形成も見受けられたとの事。これがかなり以前から背中の痛みとして感じられた病巣なのだろう。この部分はバルーンで拡張処理。右側の完全閉塞した1本は新しいもので胸の痛みの原因だ。既に右下側心室心筋部分に壊死が認められたという事でステントを挿入。もう少し手当が遅れていれば危ないところでしたよ。まだ予断は許しませんからしばらくは絶対安静、頭も動かしてはいけません、と言われペースメーカーを装着、ICUに運ばれた。

 その夜は血圧が上がらない(70/50 脈拍25)、周りでは心不全起こさんように気をつけろ、などなど私を巡って大騒ぎだった。酸素マスクが付けられ、呼吸が楽になった。その後は幻覚が見えるなど私も意識朦朧だったが、翌々日には一般病棟に移されなんとか回復に向かい、二週間予定だった入院日を11日間で無事退院する事ができた。当分無茶せず安静にすることを 約束させられて。

 C西病院はカテーテル治療数12年連続全国1位で、最初に訪れたK内科クリニックのK院長は平成15年まで、C西病院の循環器内科主任部長をしていた人。どうりでテキパキとスムーズに事が進んだわけだ。

 症状が出たのが前日の休日ではなく平日だったことも幸運だった。心筋梗塞も脳梗塞も発症してから何時間で処理ができるかが予後に大きく影響してくる。二時間以内に処理すると心臓へのダメージが少なくて済む、遅くとも六時間以内に処理することが望まれる。私の場合は自覚してから7、8時間でステント処理が済んだが、心筋へのダメージは少なくなかった様だ。通常の救急搬送ではもっと時間がかかる事もあるだろう。後は心筋へのダメージが如何程かが問題だ。それにより今後の人生のクオリティオブライフが決定される。 脳梗塞の場合は発症後四時間半のt-PA使用可否制限があるので救急治療は心筋梗塞以上にシビアのようだ。

私の場合、妻を始め関係した周囲の皆様のお陰で命を救われたと感謝の思いが尽きない。