※1997年12月で休刊したWEBマガジン「月刊 IP NET」に、あの“懲りない男”柴田忠男が
取材構成した記事「休まない男、早川廣行」が掲載されていましたので転載します。興味が
ある方はご覧ください。★「休まない男」の記事を読む☆
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※1976年前後、若かりし頃に関係していた 今は無き同人誌から一部を転載してご紹介
★1976年12月10日発行 同人誌「むすび」第2号から★
※1960年頃 神田繊維業界紙に連載された父、故早川英俊の回想録を再編集してご紹介
明治40年から昭和24年までの、激変する時代と父の生き方が記された貴重な記録です
★1907年〜1949年までを振り返る『早川英俊回想録』★
※1991年3月28日早川智恵子米寿祝いを記念して、次女阿部英子が記録した「母、智恵
子の道程(みちのり)」93歳まで元気に暮らした母の88歳までの生き方を記述している
その後1997年3月7日に93歳で亡くなった「母、智恵子を偲ぶ」篇を追加している
★1912年〜1991年までを振り返る『母、智恵子の道程』+『母、智恵子を偲ぶ』★
※1927年3月14日〜18日早川英俊が富澤智恵子を妻とするにあたっての覚悟と、親に
勘当されても智恵子への愛を貫き通した、男の意地の生々しい記録
★1927年3月14日〜18日までを記述した『若き早川英俊の手帳から 其の1』★
※1927年11月30日 新婚7ヶ月で徴兵され、15歳の新妻を残し後ろ髪を引かれる思い
で配属先の朝鮮羅南に向かう。その時すでに新妻は子供を宿していたのだった
★1927年11月〜1929年6月までの軍隊生活『若き早川英俊の手帳から 其の2』★
※1971年10月19日から1973年3月5日にかけ一人の青年がヨーロッパからアフリカまで
独り旅した記録が、実家に送り続けた手紙として残されており 50年後の今、 ここに蘇る
★『サバンナに沈む夕陽に涙して』★
※1971年10月19日から1973年3月5日にかけ 一人の青年がヨーロッパからアフリカまで独り
旅した記録の別便。東京在住乙女との文通量は実家への手紙の1.6倍 実ページ数は3倍に及んだ
★『サバンナに沈む夕陽に涙して…節子への別便』★
🌈💌🧒❤️
※独り旅を続ける青年には出発当初から文通を交わしていた、東京在住の乙女がいた。文通が
愛を結び結婚の為に帰国することとなった。『サバンナに沈む夕陽に涙して…節子への別便』
を読んだ乙女から青年への真心を伝える便りがこの「節子の返信」である
★『節子の返信』★
自分では書けない筈の早川 廣行の死亡告知に代えて『危うく死にかけた話』
★『危うく死にかけた話』★